かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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シャルル・ド・ゴントー


Category: アイルランド・イギリス・フランス
シャルル・ド・ゴントー 能力データ
魅力 5 / 統率力 8 / 戦闘力 7 / 政治力 3 / 知力 4

シャルル・ド・ゴントーはフランス史上6人しかいない大元帥の1人。
1562年にアルマン・ド・ゴントーの息子としてサン=ブランシャールに生まれ、ペリゴール地方のビロンにあった一族の城で教育を受けた。やがて元帥であった父の指揮下で初陣を飾り、忠実さと勇猛さとをもって長きにわたりアンリ4世に仕える。1590年に旅団長となるとアルクの戦い、イヴリーの戦い、パリ攻囲戦、ルーアン攻囲戦、オマールの戦い等で次々と戦果を挙げる。王はその功績を称え、彼をフランスとブルターニュの提督、そしてフランス元帥、次にブルゴーニュ総督、公爵・廷臣に相次いで任命、イングランド女王エリザベス1世の元へは大使として派遣する。

だが、王はフォンテーヌ=フランセーズの戦いではシャルル・ド・ゴントーの命を助けていたにもかかわらず、彼は王に対する陰謀を企ててスペインやサヴォイア公国と手を結び、故国に刃を向けようと準備を始める。サヴォイア公はアンリ4世に向けて貴族達が叛乱を起こすのと引き換えに三女をビロン公シャルル・ド・ゴントーに娶せることを提案、またその叛乱の中でビロン公シャルル・ド・ゴントーはブルゴーニュとフランシュ=コンテに君臨することになっていた。しかし陰謀はその問題を調査していたラファンによって暴かれる。ビロン公シャルル・ド・ゴントーは一切を否認しようとするも、彼の残していた書付がそれを台無しにする。アンリ4世はリヨンで一度彼を許し、その後も何度も許そうとしたのだが、その度に新しい罪状の証拠と彼の懺悔が繰り返され、無駄になる。その為、シャルル・ド・ゴントーは1602年6月13~14日にかけての夜フォンテーヌブローで逮捕される。7月13日にはしっかり護衛されたラファンがパリに到着、14日にはビロン公シャルル・ド・ゴントーが告発者の前に引き立てられる。17日には大逆罪の審理が高等法院の判事達の手で行われ、27日には審理への参加を拒否していた廷臣たちが欠席する中でビロン公自身が出廷。29日にビロン公シャルル・ド・ゴントーの大逆罪に対して死刑が言い渡され、1602年7月31日に収監されていたバスチーユ内で斬首。



テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学


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