かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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ハンニバル


Category: スペイン・ポルトガル
ハンニバル 能力データ
魅力 9 / 統率力 10 / 戦闘力 7 / 政治力 8 / 知力 8

ハンニバル・バルカはカルタゴの将軍で、バルカとは「雷光」を意味する。
第二次ポエニ戦争を開始した人物で、カルタゴが滅びた後もローマ史上最大の敵として後世まで語り伝えられていた。2000年以上経た現在でも彼の戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど戦術家としての評価は非常に高い。

第一次ポエニ戦争でシチリアをローマに奪われると、ハンニバルの父であるハミルカルは当時未開であったイベリア半島の植民地化政策に乗り出す。そして植民都市カルタゴ・ノウァを建設。後にハンニバルは軍隊に司令官として指名され、カルタゴから承認を受けるとイベリア半島戦線の指揮を採ってエブロ川南方の制圧に着手。サグントゥムを八ヶ月後に陥落させる。ローマはハンニバルの行動を条約違反としてカルタゴ政府に懲罰を要求したが、ハンニバルの絶大な人気の前に政府は彼に対して何の手も打てなかった。
紀元前218年、ハンニバルはカルタゴ・ノウァを出発。軍勢は歩兵9万、騎兵1万2000、戦象37頭、カルタゴの伝統通り将官以外は全て傭兵。雪が降るほどの寒さや疲労、狭い山道と崖など、行軍は困難をきわめたが、アルプスを越えて(イタリアに到着した時点で歩兵2万、騎兵6万にまで減っていたという)遂にイタリア半島へ進軍し、ローマの元老院を驚愕させる。第二次ポエニ戦争(別名、ハンニバル戦争)の始まりである。
ローマはハンニバルの攻撃は予測していたが、まさかアルプス山脈を越えて侵攻してくるとは思ってはおらず、ティキヌスの戦いでハンニバルに撃破され、執政官プブリウス・スキピオも負傷する。ローマ軍の敗北を見るや、周辺のガリア人部族はハンニバルに協力し始め、ハンニバル軍は続くトレビアの戦いでももう一人の執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングスを破る。
こうして北イタリアに勢力基盤を築き上げると、ハンニバルは更に勢力を拡大すべく南下を開始、エトルリアに侵入する。これに対し、ローマでは新たな執政官グナエウス・セルウィリウスとガイウス・フラミニウスが再びハンニバルの進路を阻もうと進軍するが、トラシメヌス湖畔の戦いで敗北、2人の執政官は戦死した。ここに至ってローマは非常事態宣言を発令、クィントゥス・ファビウス・マクシムスを独裁官に任命、クィントゥス・ファビウス・マクシムスはハンニバル軍に接近するものの、ハンニバルが戦いの火蓋を切ろうとすると退くということを繰り返す。

紀元前216年、ローマの執政官にガイウス・テレンティウス・ウァッロとルキウス・アエミリウス・パウッルスが当選。クィントゥス・ファビウス・マクシムスの戦法に不満を持つガイウス・テレンティウス・ウァッロは果敢にハンニバルのいるアプーリアへ南進。しかしハンニバルはこの性急さを利用して決戦に持ち込み、史上有名なカンナエの戦いでローマ軍を完膚なきまでに叩き潰す。この戦いでは5~7万のローマ兵士が戦死、あるいは捕虜になる。執政官ルキウス・アエミリウス・パウッルスと次期執政官に内定していた2名が戦死、更に2名のクァエストル、48名のトリブヌス・ミリトゥムが戦死し、ローマは一度の戦闘で指導者層の25%を失うという過去に例のない完敗を喫した。これ以降、ローマはハンニバルに対して消極的な戦法に徹することになる。
ただ、クィントゥス・ファビウス・マクシムスの消極戦法は次第に効果を発揮し、ハンニバルの行動はカンパニア領内に封じ込められるようになってきた。ハンニバルはアプリアに進撃するが、同年にタレントゥムを失ってしまう。またロクリを攻略するローマ軍を蹴散らし、執政官マルクス・クラウディウス・マルケッルスを戦死させるものの、タレントゥムの損失は大きく、補給のおぼつかない彼の行動地域は制限を受けてしまう。紀元前207年、ハンニバルは再度北上してアプリア地方を制圧、ここでイベリア半島から西進する弟ハスドルバルの支援を待ったが、ハスドルバルはその途上にメタウルスの戦いで戦死。更にハンニバルと行動を共にしていた弟マゴのリグリア攻略失敗、またピリッポス5世との連携の失敗などによって、南イタリアでの主導権回復の術を失う。

ハンニバルがアプリア地方に封じ込まれる中、ローマではプブリウス・スキピオの子でヒスパニアで功績を挙げたスキピオ・アフリカヌスが攻勢に転じようとしていた。シチリア島を占拠した後、軍勢と共にアフリカに渡航。いきなりハンニバルを無視して本土に現れた敵にカルタゴ政府は驚き、ヌミディア王国のシュファクス率いる騎兵を援軍として戦うが敗北した。この敗戦に狼狽したカルタゴ政府は、態度を一変してローマとの休戦交渉とハンニバルの召還を画策、十数年ぶりに彼は故国カルタゴに戻る事となった。
スキピオ・アフリカヌスは先の会戦でヌミディア王シュファクスを追撃して王位から引きずり下ろし、ローマ側についていたマシニッサをヌミディア王に即位させていた。これによって、今まで重要な騎兵兵力をヌミディアに依存していたカルタゴ軍は、ローマに対する騎兵の優位を失う。このような状況の中、ハンニバルはスキピオ・アフリカヌスに直接交渉を打診し、対峙する両軍の前で二人は会見。個人的には互いの才能を高く評価していた2人であったが交渉は決裂した。
ザマの戦いはそれまでのハンニバルの戦いと異なり、歩兵ではカルタゴ有利なものの騎兵ではローマ軍に劣るという状況で、この劣勢を覆すために先頭に戦象を配備。敵に戦象がいる事を知ったスキピオ・アフリカヌスは、軽装歩兵で編成されている歩兵中隊を広い間隔で配置し、直進しかできない戦象を回避させ、無力化する事に成功。大集団の密集した重装歩兵を基幹とするカルタゴ軍は機動力に勝るローマ軍の騎兵に後方から攻撃され、また前面からはローマ歩兵に包囲されて大敗した。これによってカルタゴの地中海での優位性は完全に失われ、第二次ポエニ戦争はカルタゴの敗北に終わった。

第二次ポエニ戦争後、カルタゴはローマの同盟国になることを強要されて莫大な賠償金を課せられ、国の前途も危ぶまれた。しかしそれまでカルタゴの政治を牛耳っていた貴族たちが権勢を失い、敗軍の将であるハンニバルの返り咲きが可能になった為、彼は先頭に立って母国の経済建て直しを図る。
ハンニバルは行政の長であるスッフェトに選ばれ、改革の陣頭指揮を採ってまずは名誉職に過ぎなくなっていたスッフェトの権限を回復し、自分に権限を集中させた。次いでカルタゴの行政母体である「104人委員会」の改革に着手。直接選挙によって議員を任命することとし、また民衆の支持を背景に議員の任期を終身から2年へと変更した。ハンニバルの行政改革は効果を挙げ、賠償金を完済し、軍人としてのみならず政治家としての手腕の高さも証明した。だが、不可能と思われた賠償金の返済をやり遂げた事が逆にローマの反カルタゴ派の危機感を募らせる事にも繋がり、又ハンニバルの改革は効果的ではあったがかなり強引であった為にカルタゴ国内に反ハンニバル派の台頭を許し「ハンニバルがシリア(セレウコス朝)と内通している」とローマに訴えられる。身の危険を感じたハンニバルはカルタゴを脱出、シリア戦争の後にローマの追っ手から逃れる為にクレタ島、さらに黒海沿岸のビテュニア王国へと亡命。更に逃亡を図ったが果たせずに自殺した。

ザマの戦いから数年後、エフェソスに亡命していたハンニバルは、使節として同地を訪れたスキピオ・アフリカヌスと再会し、史上もっとも偉大な指揮官は誰かと問い掛けられると「第一にアレクサンドロス大王、第二にピュロス、そして第三に自分だ」と答えた。スキピオ・アフリカヌスが重ねて「ザマの戦いであなたが私を破っていたら」と問うと、「アレクサンドロスを越えてわたしが史上第一の指揮官になっていた」と率直に答えたという。
とは言え、ハンニバルの用いた包囲殲滅戦術は現代の陸軍士官学校でも必ず教材として使われるほど完成度の高いものであり、ハンニバルが戦術を研究する際にピュロスやアレクサンドロス大王を参考にしていたとしても、現代においては戦術家としての評価はハンニバルの方が高いと言える。
又、ハンニバルは「いかなる超大国といえども、長期にわたって安泰であり続けることは出来ない。国外に敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。外からの敵は寄せ付けない頑健そのものの肉体でも、身体の内部の疾患に苦しまされることがあるのと似ている。」のちにローマではポエニ戦争の勝利に伴う社会構造の変化にうまく適応できず、内乱の一世紀と呼ばれる混乱の時代が訪れることとなる。
イタリアでは今でも子供が悪い事をすると「ハンニバルが来てあなたを連れて行ってしまうよ」と叱ることがあるという。



テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学


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