かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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ティープー・スルタン


Category: アフガニスタン・インド・パキスタン
ティープー・スルタン 能力データ
魅力 7 / 統率力 7 / 戦闘力 6 / 政治力 7 / 知力 8

ティープー・スルターンは南インドの雄マイソール王国の将軍ハイダル・アリーの嫡子として生まれ、対英闘争にその一生を費やし、「マイソールの虎」と畏怖された。当時ベンガル周辺にはイギリスの勢力が確立されており、周囲を侵食しつつインド全土の植民地化を図っていた。ティープー・スルターンは父の片腕として若い頃より活躍しており、プッラルールの戦いでは父の副将としてイギリス軍を包囲殲滅し司令官以下多数を捕縛している。
1782年に父ハイダルが病没すると、ティープー・スルターンはウォデヤ家を廃絶して自ら国王に即位し、対英戦争を継続する。その優れた戦術と近代的なマイソール軍はイギリスを大いに悩ませたが、しかしマラータ諸侯がイギリスと不可侵協定を結び(多額の賄賂が使われた)その圧力を一手に受けるようになった後は徐々に押され、4年の戦いの後に休戦協定を結んだ。この戦いでティープー・スルターンの威名は大いに高まり、マイソールの虎と渾名されてその名はヨーロッパにまで知られるようになった。

戦いがやむと、ティープー・スルターンは王国と軍の近代化を更に推し進め、またイギリスに対抗するためアフガニスタン、オスマン帝国、更には遠くフランスのナポレオンにまで使者を送り、共闘を持ちかけた。中でもナポレオンはかなりの興味を示したらしいが、折からの対露関係悪化で積極的支援にまでは至らなかった。やがてイギリス軍が圧倒的大軍でマイソールの王都シュリーランガパトナムを攻撃。ティープー・スルターンは自ら剣と銃を執って奮戦し、壮絶な最期を遂げた。このマイソール王国の滅亡はもはやインドにはイギリスに抵抗する勢力が無くなった事を意味し、この後インドはなすすべもなく蹂躙されていくことになる。ティープー・スルターンは当時のインドにあってほぼ唯一イギリスに正面から戦いを挑み一定の成果を収めた人物であり、世界的な視野を持っていた稀有な人物だったと言える。政戦両面に長じるだけでなく宗教的にも寛容で多数の言語に堪能な教養豊かな人物でもあり、彼の終焉の地となったバンガロールの宮殿は今でも有名な観光地となっている。

半世紀余の後のインド大反乱で勇戦の後戦死したジャーンスィー王妃ラクシュミー・バーイーと並び、現在のインドでは民族的な英雄して尊敬を集めている。ティープー・スルターンはイギリスに対抗する為に軍の近代化を押し進めたが、そのひとつが当時のロケット兵器の水準を遥かに凌ぐロケット砲部隊だった。このロケット自体も強力であったが、ティープーの先見の明は更にそれを大規模に運用し、かつ機動力を与えることとなった。移動を容易にする為、台車に装荷。これは後に第二次世界大戦で出現した大形ロケット砲に先んじる物で、その運用のために5000人規模のロケット砲部隊が編成された。



テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学


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