かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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ルイ=ニコラ・ダヴー


Category: アイルランド・イギリス・フランス
ルイ=ニコラ・ダヴー 能力データ
魅力 7 / 統率力 9 / 戦闘力 5 / 政治力 6 / 知力 8

ルイ=ニコラ・ダヴーは代々軍人を輩出した下級貴族に生まれ、15歳でパリの陸軍士官学校に入校する(一期上にコルシカ人ナポリオ-ネ・ブォナパルテ、後のナポレオン・ボナパルトがいた)。卒業後は祖父や父が在籍した事もある騎兵連隊に配属されたが、ここでフランス革命が発生。爵位も無い下級とはいえ貴族であるにも拘らず共和主義に賛同して大問題となり逮捕投獄され、軍籍も剥奪される。しかし政情の変化に助けられてほどなく軍籍に戻ることができた。
その後各地を転戦する中で次第に頭角を現し、若いながら優秀な指揮官として知られるようになる。同時に節を曲げない頑固者としても知られ、裏切りを図る上官を砲撃したり逮捕しようと自ら司令部に乗り込んだりといった逸話も残っている。共和制に対する忠誠は揺るぎないものだったが、貴族出身という出自が災いすることも多く、1793年に准将になった直後、貴族士官追放令に掛かって罷免され軍から追放される。その後約1年間郷里で軍事研究に没頭していたが、友人知人の助けもあって復職に成功。ドゼー将軍の指揮下に入り、公正無私にして有能さで知られた彼と親交を結ぶ。この事が大きな転機となった。
以後6年にわたりドゼーの副将格として行動を共にすることになり、ドイツやイタリアを転戦。ドゼーがその親友ナポレオンに誘われてエジプト遠征に参加すると、共にエジプトで戦う。ここでドゼーからナポレオンに紹介され、以後ナポレオンに絶対的な忠誠を誓う事となった。マレンゴの戦いには従軍出来なかったため、ここで戦死したドゼーの最期に立ち会うことはできなかった。その後友人だったルクレール将軍の妹と結婚。ルクレールがナポレオンの妹ポーリーヌを妻としていたためその義弟という形となり、ナポレオンの側近の一人に数えられるようになる。

ダヴーはその有能さと謹直な人柄でナポレオンの信頼を得、ナポレオンが帝位に就くと元帥に任命される。当時34歳だったが、これは元帥中最も若い年齢だった。第3軍団を任されるようになるとその働きはますます冴え、アウステルリッツの戦いでは常識はずれの機動力で決定的な働きを見せ、アウエルシュタットの戦いでは数において2倍以上のプロイセン王国軍を撃破する離れ業を演じる。特にこの勝利はドイツ戦役そのものを決定づける大勝利であり、皇帝はその功績を激賞してベルリン入城一番乗りの栄誉を与えた。
その後もポーランド戦役で活躍、ワルシャワ公国が設立されるとその総督となって腐敗官僚一掃に辣腕を振るい、対オーストリア戦ではエックミュールの戦いで決定的な働きを見せる。1810年にドイツ方面軍総司令官となり、前線の指揮官としてだけでなく為政者、管理者としても有能な所を示した。

ロシア遠征でも有能さを発揮するが、徐々に決断力と指導力を失いつつあった皇帝はその忠告具申を取り入れることができず、遠征序盤の包囲作戦やボロジノの戦いなどは、ダヴーの助言を容れていれば勝てたとされる事も多い。ロシア遠征が無惨な失敗に終わるとハンブルクを拠点にエルベ川下流地方の守備を命じられ、ハンブルクに籠城する事になる。ライプツィヒの戦いで皇帝の主力軍が敗北する中、ダヴーとその軍団は孤立しつつ頑強な抵抗を続け、ついに1年以上に亘って敵のまっただ中で粘り通した。彼が開城し降伏したのはナポレオンの退位のさらに1ヶ月後だったという。

新王ルイ18世に忠誠を誓わず追放されたダヴーは、ナポレオンがエルバ島から脱出するといち早く皇帝を支持する。皇帝は彼を戦争大臣に任命、ダヴー本人は前線で戦う事を希望したが、皇帝の方にも安心してパリを任せられる者がいないという事情があり、やむなくこれを引き受ける事になる。そしてここでも有能なところを見せ、わずか3ヶ月で軍の再編を完成させた。ワーテルローの戦いでの敗戦を知ると、即座に手持ちの軍を率いて敗残の友軍を救援に向かう。その後勝ち誇るプロイセン軍を粉砕するなど相変わらずの辣腕を発揮し連合軍との協定が成立するまでパリを守り抜いた。

王政復古後は再び全ての役職を剥奪され警察の監視を受けるが、旧友ネイの裁判の折には危険を顧みず弁護人としてパリに赴くなど硬骨振りを見せる。それが仇となって一時逮捕されるなど困窮を極めたが、3年後ようやく元帥号を取り戻し名誉回復が為された。 さらにその4年後、肺結核で死去。ネイやマッセナと同じ墓地に葬られた。

極度の近眼のため分厚い眼鏡をかけ、背が低い上に若禿げで、外見は冴えなかったと言われるものの、「不敗のダヴー」「鋼鉄の将軍」と呼ばれるなどナポレオン麾下で最優秀と評価される事が多く、生涯不敗とされるその軍歴は勝利の栄光で満たされている。その才覚は単なる前線指揮官に留まらずナポレオンの戦略を高次元で理解し、独自に一軍を維持し指揮することのできる数少ない人物であり、行政官として組織を管理統率する手腕にも優れていた。ナポレオンへの忠誠心は信仰に近いものがあったというが、ナポレオンの方はダヴーの有能さは評価しつつその才能への嫉妬もあったのか複雑な心情を抱いていたらしく、後にはかなり辛辣な評も残している。



テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学


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