かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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バヤズィト1世


Category: イスラエル・トルコ
バヤズィト1世 能力データ
魅力 6 / 統率力 8 / 戦闘力 5 / 政治力 2 / 知力 5

オスマン帝国の第4代皇帝バヤズィト1世(バヤジット1世)はムラト1世の子で、父の存命中から軍を率いて軍事的才能を発揮。果断で迅速なことから、「雷帝(ユルドゥルム)」と言うあだ名を与えられた。

1389年のコソボの戦い直後、父ムラト1世がセルビア人の貴族によって暗殺された時、随行していたバヤズィトはすぐさま同行の弟たちを殺害し即位した。即位後は積極的に外征を進め、セルビア・ボスニア・ワラキアなどを服従させ、バルカン半島の大半を支配下に収める。1391年にはコンスタンティノープルを包囲したことからハンガリー王ジギスムントを中心とする十字軍の侵攻を受けたが、ニコポリスの戦いでこれを破った。しかしアナトリアに割拠するトルコ系の諸君侯国を次々に併合したことから、1400年アナトリアの諸勢力が東アナトリアに進出してきたティムールを頼ることになる。ティムールはバヤズィトに対し、「アナトリアの諸君侯に旧領を返還する」よう要求した。このためオスマン帝国は、ティムール朝と対立するに至る。1402年バヤズィトはアンカラの戦いでティムールに敗れて捕虜となり、翌1403年に獄中で失意のうちに病死。

その後バルカンの辺境は、帝国に服属していた諸侯が離反。アナトリアではバヤズィトの滅ぼした諸君侯国が、ティムールの手で復興された。オスマン領に残されたムラト以前の支配地域も、エディルネに拠ったバヤズィトの長男スレイマン・チェレビーが、ヨーロッパ側を支配。アジア側はその弟達、アマスィヤに拠ったメフメトとブルサに拠ったイーサによって分割支配する事となった。オスマン帝国の分断と空位の時代は、1413年バヤズィトとともにティムールに拘禁された後解放された、末弟ムーサを含めた四兄弟の争いがメフメト1世の勝利に帰すまで続いた。



テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学


Comments

 
アンカラの戦いの戦力比についてはかなりバラつきがあるようで、ティムール軍40万vsバヤジット軍25万,25万vs16万、16万vs12万、16万vs9万、8万vs6万、6万vs4万等と言われているようですが、実際どの程度の規模の会戦だったのでしょうか? 

 ・・・個人的には中東世界の盟主を決定する大戦なので25万vs
16万あたりが至当かと思うんですが・・・最晩年の対明遠征軍が20万だった事から考えると20万以下だったのかなあ?

敗色が決定的となり、イェニチェリがスルタンバヤジットを戦場から無事離脱させるためほぼ全滅するまで戦場に踏みとどまってと奮戦した、彼らの忠誠心に胸熱です。(結局バヤジット逃げ切れず捕まっちゃうし・・・余計に・・・)



 

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