かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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スキピオ・アフリカヌス


Category: イタリア・ギリシャ・スイス
スキピオ・アフリカヌス 能力データ
魅力 9 / 統率力 10 / 戦闘力 6 / 政治力 3 / 知力 7

スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)は、執政官を輩出した名門貴族であるスキピオ家に生まれる。17歳の時に勃発した第二次ポエニ戦争でカルタゴのハンニバルの天才的な用兵を目の当たりにした。紀元前212年、周囲の勧めでアエディリス(按察官)に立候補するが、法定年齢の30歳未満であった為に護民官が立候補に反対。だがスキピオの人気に押されて異議の申し出を取り下げる一幕もあって公職を得る。
紀元前211年父プブリウスと叔父スキピオ・カルウスがヒスパニアで戦死し、翌年25歳になったスキピオは巧みな挙措と演説で元老院を説得、特例としてプロコンスル(前執政官)待遇で軍団指揮権を授けられ、新たに派遣される軍団の指揮官として就任。アエディリスしか公職を経験していない若者にとって異例の抜擢であった。
当時エブロ川以西のヒスパニアは完全にカルタゴの支配下にあり、ハンニバルの弟ハスドルバル・バルカとハスドルバル・ギスコとがこれを統治していた。海路エブロ川流域に上陸したスキピオは、直接カルタゴ・ノウァを急襲して占拠し、カルタゴ勢を驚かせる。そしてハスドルバル・バルカをバエクラの戦いで破り、ヒスパニアの部族を次々と攻略、イリッパの戦いでカルタゴの残存勢力をヒスパニアから一掃してローマのヒスパニア支配を確立。ローマに帰還した。

紀元前205年、民衆からの支持を得たスキピオは31歳にして執政官に選ばれたが、その若さは元老院の古参議員たちの羨望と嫉妬との対象となってシチリア島以南への渡航は禁じられ、また指揮する軍団も与えられなかった。元老院の主導権を握るファビウス・マクシムスはローマの意表を衝くハンニバルに連敗を余儀なくされた当時の陣頭指揮者であり、その用兵を恐れ、そのアフリカ遠征については北アフリカへの渡航のみ許可。元老院も「ローマ軍の正規の作戦として認めない」という露骨な態度で経済的な支援や援軍は望むべくもなかった。
そんな中、北アフリカに渡航したスキピオはカルタゴ&ヌミディア同盟軍を夜襲で撃破、同盟軍は四万の死者を出した。スキピオの登場によって劣勢に陥ったカルタゴは動揺し、外交交渉を試みながらハンニバルに帰還を要請。ハンニバルは数十年ぶりに母国カルタゴへ戻る。両軍はカルタゴとウティカとの中間地点であるザマで対峙。互いの軍が対峙する中でスキピオとハンニバルは会見するが交渉は決裂、両軍激突の結果ハンニバル軍は大敗する。この勝利によってスキピオは事実上第二次ポエニ戦争を終結させたのである。戦後、スキピオは宿敵カルタゴに寛容な方針で臨んだ。多くのローマ人はスキピオがそのままカルタゴの包囲攻撃に取り掛かると思っていたが、ハンニバルも裁かれることなく休戦が成立。スキピオのこの戦後処理は、多くの若いローマ人達(その中には晩年のスキピオを弾劾する大カトーがいた)の反感を買うことになる。

ローマに戻ったスキピオは熱狂的な歓迎を受け、凱旋式の挙行を許される。そして「アフリカヌス」の尊称を授かり、以降「スキピオ・アフリカヌス」と名乗った。救国の英雄である彼には、他にも終身執政官、更に終身独裁官の提案が何度もなされたが、スキピオはそれらを全て断っている。そして紀元前199年にケンソル(監察官)に選ばれたが、その後数年間は静かな隠遁生活を送っていた。
しかしその後、ローマは圧力をかけた結果シリアのアンティオコス3世のもとに亡命したハンニバルが気になり、シリアに宣戦布告。スキピオ自身は指揮官となった弟の参謀役として従軍し、マグネシアの戦いで勝利。この戦いで弟ルキウスに「アシアティクス」という尊称が送られ、彼は「スキピオ・アシアティクス」と名乗るようになった。

救国の英雄として、その名声に並ぶ者のなかったスキピオであったが、元老院では彼の政敵大カトーが着実に主導権を握り、発言力を強めていく。晩年のスキピオはカンパニア地方のリテルヌムで過ごすようになり、二度とローマには戻らなかった。そして紀元前183年頃に死去。奇しくも彼の死と同時期に最大のライバルであったハンニバルもローマの度重なる追及によって亡命を繰り返した末、カルタゴから遠く離れたビテュニアで自害した。



テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学


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