かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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リチャード1世


Category: アイルランド・イギリス・フランス
リチャード1世 能力データ
魅力 5 / 統率力 8 / 戦闘力 8 / 政治力 2 / 知力 3

41年の生涯がまさに戦に明け暮れる一生で、イングランド騎士道の華と謳われたリチャード1世。
父のヘンリ2世は元フランスの大貴族アンジュー伯であったが、相続や結婚を通じてイングランド王位の他にノルマンディ、アキテーヌなどフランスの約半分の国土を領する当時西ヨーロッパ最大の君主であった。
その領土をめぐって父親に不満なヘンリ2世の四人の子供達は、フランス王と手を結んで父親を裏切り、弓を引いた。父親の跡を継いで即位したリチャード1世は、イスラム教徒から聖地エルサレムを奪還する十字軍遠征を天から与えられた使命と捉え、即位後三ヶ月でイングランドにて軍資金を集めてフィリップ2世とともに聖地を目指す。ところが両者は途上で対立し、怒ったフランス王は軍をまとめて帰国。結果、リチャード1世のみがパレスチナに向かう。
やがて聖地を当時支配していたエジプトのサラディンと激突、サラディンとの一騎打ちまでなされたが結局勝負がつかずに聖地を奪還出来ないまま名誉ある休戦を結んで帰国の途につく。この戦いによって彼は「ライオンハート:ライオンの魂をもつリチャード」と呼ばれた。

ところが帰途の途中でオーストリア公によって身柄を拘束され、ドイツ皇帝ハインリヒ6世のもとで監禁の憂き目にあい、巨額の身代金を払ってようやく帰国。帰国後もイングランドに留まらず、直ぐさまフランスに渡ってフィリップ2世を破ったが、戦中に肩に矢を受けた傷がもとで死去。
勇武と豪胆さは優れていたが、性急・無思慮で支配者としては名君とは言えない。10年余在位しながらイングランドにいたのは僅か半年にすぎず、英語も話せないし重税で国民を苦しめ、次のジョン王時代の混乱の原因をつくった。

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テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

ウィリアム1世


Category: アイルランド・イギリス・フランス
ウィリアム1世 能力データ
魅力 7 / 統率力 8 / 戦闘力 7 / 政治力 3 / 知力 6

1066年、イングランドにおいてエドワード証聖王が死去。王には子がなかった為にその継承をめぐって激しい紛争が起こった。イングランドの大貴族ハロルド、ノルマンディ公ウィリアム、ノルウェー王ハーラル。いずれ劣らぬ英雄である。
ウィリアム1世はノルマン騎士を集めて英仏海峡をおし渡る準備を整え、ハロルドも南岸に布陣して迎撃の態勢をとる。ところが睨み合いの最中に第三の男ハーラルがヴァイキングの大艦隊をもってイングランド北部に侵入。要衝ヨークを占領した。背後をつかれたハロルドは直ちに総力をあげて北に進撃、大激戦の末にこれを殲滅した。しかし、この留守の間にウィリアム1世が数千の騎士と共にイングランドに上陸。これを聞いたハロルドは再び南へ引き返す。400kmを僅か十日で走破した兵馬は疲れ果てていたが、ハロルドは決戦をはやって両軍は真っ向から激突。疲れていたとはいえ、イングランドの密集歩兵軍の威力によってノルマン騎士は苦戦を強いられるが、戦術を転換して敵の密集隊形を崩して盛り返す。そうした中、斧をふるって勇戦していたハロルドの眼に流れ矢が命中し、倒れる。指揮者を失ったイングランド軍は敗走し、勝利をおさめたウィリアム1世は二ヶ月後にイングランド王として即位した。

テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

アノーヤター王


Category: インドネシア・ベトナム・ミャンマー
アノーヤター王 能力データ
魅力 7 / 統率力 8 / 戦闘力 8 / 政治力 8 / 知力 7

アノーヤター王はミャンマー初の統一王朝パガン朝の実質的創始者。
パガン地方のミャンマー族統治者の家に生まれ、父を僧院に蟄居させた簒奪者を倒して王位に就くと四名の勇士を選んで司令官として各地へ派遣。初めて象を大規模な戦車隊として用いた作戦によって支配を拡大していった。特に東南アジア大陸部各地に広く存在して文化の高さを誇っていたモン族の海岸エリアを統べるスダンマワディ国の都タトンを攻め落とし、マヌア王以下、僧、学者、職人などを含む三万人を捕虜としてパガンに連行し、モン文化と上座部仏教をもたらした。
又、パガン東方のチャウセー地方を中心に灌漑設備の充実を図るなど、国の経済的基盤を確立した後に東方周辺地域をパガンを中心とした朝貢体制の中に組み入れ、影響力を及ぼした。

尚、ミャンマー族のみならず、モン族やタイ族の年代記にもアノーヤター王と四勇士達の金の鎧を着て悪鬼のごとく馬に跨り疾駆する様が描かれており、彼等五人の英雄の偉業は広く東南アジア各地で伝統として伝えられている。

テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

ダビデ


Category: イスラエル・トルコ
ダビデ 能力データ
魅力 8 / 統率力 7 / 戦闘力 7 / 政治力 5 / 知力 7

ダビデは生涯に自らの為に5回、イスラエルの為に13回、計18回の戦闘を行った。
ベツレヘムのユダ部族に生まれ、父の羊飼いをしながら覚えたハープと歌が評判となってサウル王の宮廷へ召し出される。ペリシテ人との戦闘で巨人ゴリアテを石投げ機で倒し、軍人としても頭角を現すと王子ヨナタンと親友となり、王女ミカルを妻とするまで栄達。しかし、サウル王はダビデの才能に嫉妬した為に身の危険を感じたダビデは敵であるペリシテ人の元に逃亡。
サウル王がペリシテ人との戦いで敗死すると、南方の同胞を説得して紀元前1002年にヘブロンを首都としてユダ族の王となり、更にはサウルの残党を倒してイスラエルの王位に就く。以後はペリシテ人から同胞を解放し、南方に分散した同胞を統一する拠点として異教徒の砦であったエルサレムを奪取、そこに十戒を刻んだ二個の平たい石を納めた「契約の箱」を移して首都とした。

そして南方のエドム族、当方のモアブ族(現在の死海西岸)、アンモン族(現在のヨルダン北西部)、北部のアラム族(現在のシリア)を攻略、非イスラエル人も才能に応じて次々と登用し、イスラエルをナイル川~ユーフラテス川における最強国家とした。
ただ、内政面では長子アモンが弟アブサロムに殺され、そのアブサロムをダビデの腹心である勇将ヨアブが殺したり、次男のアドニヤを世継ぎに立てながら、愛妾バセシバに強要されて彼女との子ソロモンを世継ぎにするなど、指導力を全く発揮出来ずに没した。

詩人と名高いダビデは、旧約・新約「聖書」でともに歴代の王の中で最も多くの紙面が割かれ、後にイスラエル理想の王と言われたメシアでさえ「ダビデの子」と呼ぶ程に理想化している。

テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

02 2010
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