かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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ナレースワン


Category: カンボジア・タイ・ラオス
ナレースワン 能力データ
魅力 6 / 統率力 6 / 戦闘力 6 / 政治力 4 / 知力 5

ナレースワンが幼少の頃、父はピッサヌロークの知事だった。1563年にピッサヌロークがビルマに負けると、養子という名目の人質としてナレースワンはビルマに連行され、ビルマで戦術を学ぶ。
1569年、前期アユタヤ王朝がミャンマーに掌握されると、ピッサヌロークの父はミャンマー政府からの信任を受けてアユタヤの傀儡王に就いた。同年、父王はナレースワンを取り戻すため、娘のスパンカンラヤーをビルマ王の妻として差し出し、代わりにナレースワンを返させた。この後ナレースワンはタイ独立へ向けて、タイ兵士を独特の武道で鍛えた。タイの国技とも言われるムエタイはこの時の武道がその原型となったと言われる。
1574年、ナレースワンは機が熟したと見てアユタヤ王朝の独立を宣言する。同年ミャンマーのシッタン川でビルマ軍の先鋒を銃殺したのを皮切りに、攻めてくるビルマ軍をことごとくうち破った。アユタヤ王は次々と失地を回復し、ナレースワンが王に就く前に、アユタヤ王朝は以前の栄光を取り戻した。王位に就いた後もビルマに対し数々の戦争をし、ある時カンボジアのラウェークを捕らえ斬首してその血で足を洗った(当時インドシナ半島で行われていた一種の戦勝儀式)。1604年、ビルマの王ナンタブレンが毒殺されたのを機にミャンマーのタイ族の治めるシャン族の州がタイに寝返った。新たなビルマの国王がこれを討ったため、ナレースワンはシャン族の保護を目的に自ら兵を率いてアユタヤから北上したが、翌年チエンマイ県の北部で病死した。

現在、彼は救国の英雄としてタイ三大王(ラームカムヘーン、ナレースワン、ラーマ5世)の一人とされており、ムエタイの創設者という意味から神格化されて、ムエタイ選手は彼の像の前で戦勝を祈ることもある。アユタヤ王朝の21代目の王にしてサンペット2世とも呼ばれるナレースワンは、「黒の王」と呼ばれる事もある。

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テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

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かんたん世界歴史人物評は管理人の主観による人物伝です。中国史は別サイトを見ていただくとして、それ以外の世界の歴史人物を出来るだけ沢山採り上げていきます。

 
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