かんたん世界歴史人物評

世界史(中国史を除く)に登場する様々な人物を完全主観で評価。かんたんに世界の歴史人物をチェック!

 

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ダレイオス1世


Category: イラク・イラン
ダレイオス1世 能力データ
魅力 8 / 統率力 5 / 戦闘力 4 / 政治力 9 / 知力 8

ダレイオス1世(ダレイオス大王)はアケメネス朝ペルシア第3代の王で、その名は「ワウ(よきもの)を保持する者」という意味。ダレイオス1世は全土を約20の行政区(サトラピー)に分割し、それぞれに総督(サトラップ)を配置。その上で各地を結ぶ交通網を整備し、総督の監視や情報伝達の為に「王の目」「王の耳」と称される監察官を派遣。このように中央集権体制を整備し、エーゲ海からインダス川におよぶ最大版図を統治したアケメネス朝全盛期の王である。
彼の時代に新都ペルセポリスが造営されるが、政治的中心はスーサであり続けた。交通網の整備は当時としては驚異的な速度で通信や移動を行うことを可能とし、とりわけスーサとサルデスを結ぶ「王の道」は有名。中央集権的な統治体制を整備する一方で帝国内の諸民族には寛容な政策をとり、交易で活躍するアラム人やフェニキア人の活動を保護。上質な金貨・銀貨を鋳造して帝国各地への流通を図るが、その成果は限定的であった。

スキタイ人征伐の為、南ロシア平原に侵攻するもスキタイの焦土作戦に苦しめられ撤退。又、イオニア植民市の反乱を機として、ギリシアとの間で約50年に及ぶペルシア戦争を開始させる。しかし戦争の途中でダレイオス1世は死去、戦いは息子のクセルクセス1世に引き継がれた。
アケメネス朝は、アケメネスを祖としてキュロス2世(キュロス大王)の時にリュディアや新バビロニアを滅ぼし、オリエントを統一して大帝国となった。ダレイオス1世は内乱の後に推戴されて帝位についたとされるが、この事件はダレイオス1世によるキュロス2世の王朝簒奪の見方が強い。

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テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

アブラハム


Category: イラク・イラン
アブラハム 能力データ
魅力 9 / 統率力 6 / 戦闘力 2 / 政治力 3 / 知力 6

アブラハムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者で「信仰の父」とも呼ばれる。
ユダヤ教の教義では全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされ、神の祝福も律法(戒律)も彼から始まる。イスラム教ではイブラーヒームと呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられている。

テラの子アブラハムは文明が発祥したメソポタミア地方カルデアの古代都市ウル(現在のイラク南部)において生まれた。テラはその息子アブラハムと、孫でアブラハムの甥に当たるロト、及びアブラハムの妻でアブラハムの異母妹に当たる見目麗しいサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスチナ)に移り住むことを目指してウルから出発するが、途中のハランにテラ一行は住み着く。
アブラハムは父テラの死後、エホバ神から啓示を受けてこれに従い、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々と共に約束の地カナン(パレスチナ)へ旅立つ。アブラハム75歳の時のことである。アブラハム一行はアブラハムがカナン地方(ヨルダン川西岸)を、ロトがヨルダンの低地全体を選び取って住み分け、ロトはのちに東の方、ヨルダン川東岸に移動した。尚、ロトがヨルダンの低地を選び移り住んだ時点では、そこにはまだソドムとゴモラが存在しており、これらの都市は神の怒りによって滅ぼされる直前であった。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じるいわゆる聖典の民は、いずれも彼を唯一神エホバが人類救済の為に選んだ預言者として篤く尊敬し、祝福する傾向が強い。その為、これらの宗教は「アブラハムの宗教」とも呼ばれる。彼は老齢になっても嫡子に恵まれなかった(ハランを出発したときは75歳)が、神の言葉通り後に老妻サラ(サライ)との間に嫡子イサク(イツハク)を授かる。アブラハム100歳の時の事である。後にアブラハム137歳の時、妻サラは127年の生涯を閉じ、アブラハムは175歳で世を去った。
アブラハムの墓廟はパレスチナのヨルダン川西岸地区ヘブロンにあり、ユダヤ教とイスラム教の聖地として尊崇されている。ユダヤ人はイサクの子ヤコブ(ヤアコブ)を共通の祖先としてイスラエル12部族が派生したとし、アブラハムを「父」として崇め、また「アブラハムのすえ」を称する。 一方でイサクの異母兄に妾ハガルから生まれた一子イシュマエル(イシュマイール)があり、旧約聖書の伝承では彼がアラブ人の先祖となったとされる。又、全てのユダヤ教徒の男子はアブラハムと神との契約により、生後8日に割礼を受ける定めである。

テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

サルゴン


Category: イラク・イラン
サルゴン 能力データ
魅力 7 / 統率力 9 / 戦闘力 8 / 政治力 7 / 知力 7

サルゴンはアッカド帝国を建国した古代オリエント政治史上最も有名なメソポタミアの王。
女性祭司(恐らく神殿娼婦)の子として生まれた為、その出生を隠され篭にいれられてユーフラテス川に流され、キシュの庭師に拾われて育つ。その後キシュ王ウル・ザババの酌を務める役人としてキシュ王国に仕える。
やがてアッカド市で王位を確立した後、シュメール諸都市を糾合していたウルク王ルガルザゲシを攻め、これを捕虜とする。それによってシュメールとアッカドを統一。更にエラム地方に遠征し、アワン王を中心に連合した4人のエラムの王を打倒してこれを征服、その北隣のシムルムも制圧した。
その後西方遠征に乗り出し、マリを始め、エブラ、アナトリア南東部の「銀の山(タウルス山脈)」、「レバノン杉の森(アマヌス)」を征服。これらの業績によって彼は「上の海(地中海)から下の海(ペルシア湾)までを征服した王」と記録される。そしてサルゴンが作ったこの領域は史上初の帝国であると言われる。
娘のエンヘドゥアンナはウル市の月神ナンナの神官となり、賛歌などさまざまな文学作品を残している。サルゴンの長い治世の後、息子のリムシュがアッカド王位を継いだ。

サルゴン時代に使用され、後世に伝えられた王号の中でも重要な物に「世界の王」がある。この王号は彼の子孫であるアッカド王達によって踏襲された他、アッシリアのシャムシ・アダド1世等によっても用いられた。アッカド時代に関する伝説は主に建国者サルゴンと破壊者ナラム・シンという対比によるものが多い。

テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

イスマーイール1世


Category: イラク・イラン
イスマーイール1世 能力データ
魅力 8 / 統率力 7 / 戦闘力 6 / 政治力 5 / 知力 6

イスマーイール1世は1487年、アルダビールで神秘主義教団の教主の子として生まれた。
西欧人が少年時のイスマーイール1世と謁見した時、「邪悪なほどに美しい」と言ったと言われ、幼少の頃から智勇に優れた人物でやがてトゥルクメン族の中で頭角を現わし、遂には部族7つをまとめ上げ、アナトリア東部にあった白羊朝を滅ぼして同地を支配、タブリーズで正式に即位しサファヴィー朝を創始した。1510年までにはイランから敵対勢力を完全に駆逐してイラン統一を成し遂げ、その後は国家の基礎固めに尽力してシーア派のイスラム教を国教と定める。
しかしチャルディランの戦いでセリム1世のオスマン帝国に敗れ、政治への興味を失って38歳の若さで死去。サーサーン朝ペルシア以来のイラン民族による統一国家を築き上げた人物として高く評価され、詩人としても優れた才能を持ち、配下のクズルバシュには神の化身として崇拝されていた。

テーマ : 歴史小説    ジャンル : 小説・文学

ナーディル・シャー


Category: イラク・イラン
ナーディル・シャー 能力データ
魅力 2 / 統率力 8 / 戦闘力 7 / 政治力 5 / 知力 6

アフシャール朝の初代シャーであるナーディル・シャーは、アナトリア東部からイラン、中央アジア、インドにおよぶ広大な領域を支配下に入れ、イラン史では一代の梟雄とされ、その武勇は「ペルシアのナポレオン」、「第二のアレクサンドロス」と言う歴史家もいる。ナーディルの出自は不明だが、1710年代にはアフシャール部族連合を率いてこの地域に勢力を伸ばすようになる。1719年からサファヴィー朝中心部へと勢力を伸ばしていたアフガーン族は遂にイスファハーンを陥落させ、スルターン・フサイン・シャーは降伏・退位して事実上サファヴィー朝は滅亡した。後を継いでガズヴィーンで即位したシャー・タフマースブ2世にイスファハーンの奪還はかなわず各地を放浪したのちホラーサーンに落ち延びる。ナーディルはタフマースプに仕え、タフマースブのもと勢力を拡大、マシュハド掌握、ダムガーン会戦でアフガーンを破りアフガーンを駆逐。絶大な権力を掌中にして破竹の進撃を開始し、タフマースブはイスファハーンで即位式を挙げた。

1732年、ナーディルがホラーサーン方面へ出動中、タフマースブ2世がオスマン帝国との戦いに敗れると、ナーディル・クリーはアルメニア、グルジアを割譲してオスマン朝と和睦する一方、タフマースブをホラーサーンへ追放。タフマースブの8ヵ月の子アッバース3世を擁立してその摂政となった。1736年、シャー・アッバース3世が死ぬと自らがシャーとして即位。ナーディル・シャーを名乗り、アフシャール朝を開いた。
その後、ナーディル・シャーは勢力拡大を目指して、バグダッド攻囲以降、西方で活動してオスマン朝に奪われた領域をほぼ確保する。1738年には東方に転じ、カンダハール、ガズニ、カーボル、ラーホールと進撃を続け、翌年にはムガル朝の大軍を破ってデリーを占領した。この過程でアフガーンのアブダーリー族の武力とインドの巨大な富を得て、翌々年にはイラン方面に転じ、まず北方でマーワラーアンナフルのウズベクを撃破、さらに海軍の整備に着手してバフライン、オマーンを占領した。そして再び西方に転じ、対オスマン戦を再開するが目立った戦果は挙がらずに和睦しナジャフを割譲させたのみである。

ナーディル・シャーはデリーで3万人におよぶ虐殺や、主君タフマースブとその二人の子を処刑し、暗殺未遂事件を受けてホラーサーン太守とした長子リダー・クリー・ミールザーを盲目にし、それを知った人々を処刑、そしてマシュハドの武官や有力者100人余りを反乱あるいはそれに関わったとして処刑するなど残虐かつ暴虐な人間で、ナーディルに対する恐れは増大した。結果、1747年にホラーサーンのクルド反乱鎮圧のために遠征中、アフシャール族家臣の手によって暗殺された。ナーディル・シャーの没後は甥アーディル・シャーが後を継ぐが、大帝国は解体しアフシャール朝は混乱の中で南ホラーサーンの地方勢力へと変容してゆく。ナーディル・シャーの大帝国は短命に終わったが、アフガニスタンを誕生させるドッラーニー朝や後にイランを統一するガージャール朝もナーディル・シャーのもとで活動することで勢力を蓄えていった点でナーディル・シャーはこの地域の次の時代を用意した人物であった。
尚、ナーディル・シャーの活動で軍事以外に特記すべきは都市マシュハドの整備など土木建築分野である。

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Author:ただの世界史好き
かんたん世界歴史人物評は管理人の主観による人物伝です。中国史は別サイトを見ていただくとして、それ以外の世界の歴史人物を出来るだけ沢山採り上げていきます。

 
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